素晴らしきドラッグ本の世界

はじめに

  「ドラッグ」、ときに甘美な響き、ときに危険な香りがする。この記事ではドラッグの非倫理的な使い方に注目した本を紹介する。なので、人々を救う善き「薬」は紹介しない。ここでの「ドラッグ」は「薬物」であり、法律の扱う「麻薬」である。
ここではドラッグに関する本を三種類に分けた。

①ドラッグ小説(フィクションと思われるもの)
②ノンフィクション(解説書や体験談)
③漫画、その他
である。
 文芸的価値があるとされる作品から不謹慎、反社会的だとされる作品まで、幅広く紹介するつもりだ。

①ドラッグ小説  <ロマン派からビートニク文学、ニューウェーブSFを通って現代日本へ>

『阿片常用者の告白』ド・クインシー

阿片常用者の告白 (岩波文庫)

阿片常用者の告白 (岩波文庫)

 ドラッグと関わりをもつ芸術家は多い。そして、19世紀後半から20世紀の初めまでに書かれた文芸で、主に使われたドラッグは阿片やハシシといった中枢神経抑制系だった。これは、痛み止め用の薬がそのまま依存する「ドラッグ」になるためである。
 ド・クインシーは薬物依存を訴えながら、精神の変容を書く。サイケデリック革命の形もない時代、そうしたドラッグがもつ精神の変容と堕落は表裏一体として書かれてきた。人は快楽の海に溺れまでロマンを追い求めるのである。なぜなら、ロマンは常に光の影にあり、合理からこぼれたしずくを受け止める器であったのだから。

『ジャンキー』ウリィアム・バロウズ

ジャンキー (河出文庫)

ジャンキー (河出文庫)

 ビートニクの大御所による自伝的小説。ジャンキーは自堕落な生活を通して、ジャンキーの深みにはまっていく。依存者、売人、警察は歯車として、お互いがお互いを動かし続ける。
 バロウズによるドラッグの見方は一つ参考になる。ドラッグは決して、精神がアセンションして高次の世界にいく道具でもなければ、自身とは無関係で唾棄すべきものでもない。人には無数の可能性が開かれている。そして、ドラッグをやめることはそのうちの一つの生き方を拒否することだという(ジャンキーはなぜ薬物をやめると決心するのかを考えるとわかりやすい)。ジャンキーでは、自分の意志でドラッグを摂取し依存してしまうのか。または、依存症者は売人、社会システムの被害者なのかが常に問われる。

スキャナー・ダークリーフィリップ・K・ディック

スキャナー・ダークリー (ハヤカワ文庫SF)

スキャナー・ダークリー (ハヤカワ文庫SF)

 リアルとアイデンティティの崩壊がディックの魅力だ。それはこの小説でも十分に堪能できる。麻薬捜査官であるフレッドが、物質Dに依存する自身であるボブ・アークター(=フレッド)の監視を命じられる。しかし、フレッドの精神は物質Ⅾとフレッド自身の監視により分裂が進んでいき……。
 ここでもジャンキーの問題は繰り返される。職務で服用したドラッグが依存の原因ならフレッドは被害者ではないのか。フレッドが施設にぶち込まれるのが因果応報であるならば、問題はまだ終わっていないことが暗示される。

『パーマー・エルドリッチの三つの聖痕』フィリップ・K・ディック

パーマー・エルドリッチの三つの聖痕

パーマー・エルドリッチの三つの聖痕

 不可抗力の薬物依存問題が、よりグロテスクな形で表れているのがこの小説だ。それはときに被害妄想と感じられるかもしれない。政府や国連、宇宙人が我々を薬漬けにして自由を奪うという考えは、バロウズやリリーにも共通する。この政府や独占された知性への不信というアメリカ特有の性質については『反知性主義: アメリカが生んだ「熱病」の正体 』森本あんりを読むと面白い。自由を求めて選んだ幻覚さえも支配されてしまう恐怖は、ヒッピーとLSDの関係にかぶって見える。それでもディックの世界は絶望的なものではない。「人間はまずまずうまくやってきたんだから、このひどい状況も切りぬけられる」と言ってくれる。

限りなく透明に近いブルー村上龍

新装版 限りなく透明に近いブルー (講談社文庫)

新装版 限りなく透明に近いブルー (講談社文庫)

 退廃文学の傑作だけど村上龍は『五分後の世界』のほうが好きかな。
 ガラスを通して見る空が、限りなく透明に近いブルーなのだろうか。それならば、人は日ごろから世界をガラスを通して見ている。人のガラスは曇り時々晴れになったり面白い。ときにはマリファナを喫って曇ったりもするけど、たまには晴れるんじゃないの。ドラッグはあまり関係ないからこんな説明になってしまったけどこれは外せないからね。

②ノンフィクション <薬物依存とカウンターカルチャー>

『危険ドラッグ大全』阿部和穂

危険ドラッグ大全

危険ドラッグ大全

 とりあえずドラッグの作用、歴史、法律を知りたい人におすすめ。特に数年前に話題となった危険ドラッグ(脱法ハーブなど様々な呼称がある。)について詳しく、『危険ドラッグの基礎知識』舩田正彦と、ともに参照したい。知識をつけることは作品を楽しむことにも、自分の身を守ることにもなる。

『快感回路』デイヴィッド・J・リンデン

快感回路---なぜ気持ちいいのか なぜやめられないのか (河出文庫)

快感回路---なぜ気持ちいいのか なぜやめられないのか (河出文庫)

 快感回路こと報酬回路を脳神経科学から説明し、依存の仕組みを解き明かす本。報酬回路では快楽と苦痛が対置されるのではなく、感覚と無感覚が重要な役割をはたすということが一番のポイント。依存症を病気と認めること。そして、依存症からの回復には本人が責任をもつこと、という記述がある。これは快感に人は支配されることを認めつつも、意志の力を信じるという考えであり、科学の立場からすればラディカルに感じた。

『薬物依存症』松本俊彦

薬物依存症 (ちくま新書)

薬物依存症 (ちくま新書)

 依存症問題に関わってきた松本先生による、治療法や患者からの気づき、依存の本質などが書かれた良書。松本先生の透徹と人間味に満ちた視点は、依存症者と向き合って培ってきたのだと気づかされる。
 SMARPPと呼ばれる治療プログラムを解説し、薬物依存症にありがちな誤解を解いていくなかで、それは私たちにも再考を促す。スキャンダラスな薬物報道、恐怖を煽るだけの薬物乱用防止教室など依存症の人たちにとって本当に必要なものは何か。某俳優の騒動でも報道や世間の反応から、これでは孤立を深めるばかりで問題は解決されないだろうなと、暗澹たる気持ちになった。

『ドラッグと分断社会アメリ神経科学者が語る「依存」の構造』カール・ハート

ドラッグと分断社会アメリカ 神経科学者が語る「依存」の構造

ドラッグと分断社会アメリカ 神経科学者が語る「依存」の構造

 前述の本が日本の事例ならこの本はアメリカの事例だ。自身や家族にドラッグがおこす不幸の自伝的記述が縦軸とすれば、科学的なドラッグ知識、ドラッグ政策の情報が横軸として書かれている。この本独自の視点が黒人差別とドラッグだ。アメリカは、コカインとクラック・コカイン(コカインを煙で吸引できるようにしたもの)の量刑が違う。なぜなら、クラック・コカインのほうが作用が強く、危険だからだそうだ。著者はそこを徹底追及する。さらに、クラック・コカインの使用者に黒人が多いことも突きとめる。科学によらない刑罰に隠れた差別を著者は、暴露する。
 貧困・黒人・ドラッグという問題はアメリカだけの問題かもしれない。しかし、科学に基づかない公共政策、教育は日本でも同じではないか。事実から目をそらすことは、本人だけでない悲しき被害者を増やし続けるだけである。

『幻覚世界の真実』テレンス・マッケナ

幻覚世界の真実

幻覚世界の真実

 アマゾンでのマジックマッシュルーム体験を記した本。マッケナは『神々の糧』で、古代インドで飲まれたという「ソーマ」はマジックマッシュルームであり、世界各地で文明を発展させてきた「モノリス」そのものということを書いた。この本はマジックマッシュルームとの出会いと幻覚体験をもとにオカルトな方向に突き進んでいくというカウンターカルチャー風の陰謀史観ビンビンだ。オカルト好きにもお勧めできるが、アマゾンでの幻覚体験というと『麻薬書簡』ウィリアム・バロウズ/アレン・ギンズバーグも同じ内容だ。しかし、ギンズバーグやリアリーに対して、バロウズは精神世界やオカルトといったものへ傾倒しなかった。そのためか『麻薬書簡』では、『幻覚世界の真実』に比べてあっさりとした幻覚描写や未開の文明に対する侮蔑的な視線といった記述があるため、読み比べてほしい。

『アヘン王国潜入記』高野秀行

アヘン王国潜入記 (集英社文庫)

アヘン王国潜入記 (集英社文庫)

 著者が実際にアヘンになるケシ栽培に従事し、さらにはアヘンに依存してしまうのだから驚きである。しかし、読者は読み進むうちに、不思議なワ州に惹きつけられていく。それは国際社会からケシ栽培を押し付けられた被害者なのか。ケシを栽培しアヘンを生産する小村と、それを消費し麻薬撲滅を掲げる大国。このアンバランスさはどこからくるのか。この関係は国と国に限らず、村と村、人と人にも厳然と存在することは事実だろう。
 ただ現地の人と暮らしをともにする、高野秀行が他のルポルタージュでも徹底するこの矜持は、正義感や告発の視点からは決して到達できないものを見せてくれる。

③漫画、その他 <ラリることをどう描写するか>

ウルトラヘヴン小池桂一

ウルトラヘヴン (1) (ビームコミックス)

ウルトラヘヴン (1) (ビームコミックス)

 読むと向こうにもっていかれる漫画。狂気じみた書き込みや現実から突き落とされるような展開は読むだけで疲れ、冷や汗が出る。こんな漫画は、これと山野一『四丁目の夕日』ぐらい?
 未完なのが残念であるが、こんな漫画は他にないと断言できる。

トレインスポッティング

 映画版なのは、劇中のヘロイン描写が素晴らしいからだ。例えば、サイケデリックであればサイケデリックムービーのようにすれば、分かりやすかったりする。エンター・ザ・ボイドとかね。これがヘロイン(ダウナー)だと難しい。そこでこの映画では床が沈むという演出になっていて、これ以上のものはない。これだよこれ

おわりに

 まだまだ紹介したい本はあったんですが、散らかってしまうのもあれなのでここまでにしました。『裸のランチ』とか『知覚の扉』とか『陰者の告白』や90年代サブカルチャー(青山正明のベストセラー『危ない薬』とか)も書きたかったですねー
 文体が統一できてないのはすみません。それぞれの作品にはそれぞれの文体があると思ってしてみたのですが。文下手が書き散らすほど醜いものはないですね。
  紙(それは電子の紙?)の上に現れる「不思議なくすり」が多くの人を酔わせて、何か見つけられたのなら幸いです。

デボラ・ブラム『幽霊を捕まえようとした科学者たち』 書評

レポートの供養

 

デボラ・ブラム『幽霊を捕まえようとした科学者たち』

 

内容の要約

 時は19世紀半ば、欧米では心霊ブームの真っただ中にあった。この心霊現象への関心の高まりは、哲学者・科学者・心理学者・文化人を巻き込んで降霊術、そして死後の世界に対する大論争を引き起こすことになる。

 この物語は、タイタス事件によって幕を開ける。タイタス事件では、ネリー・タイタスが死亡した少女バーサ・ヒューズを「超常的千里眼能力」によって見つけたことがセンセーショナルに報道された。そして、この事件を報告した人物こそ心霊研究の第一人者となるウィリアム・ジェイムズだった。

ウィリアム・ジェイムズは、哲学においてプラグマティズムを広め、ハーヴァードの心理学教授のポストにつき、アメリカ心理学協会を設立した一人であった。そんな高名な学者が世間的信用を顧みず心霊現象を科学として発表したことは、心霊現象を追い求めるゴーストハンターが学問として研究するに値することを示した。

 19世紀の心霊ブームの前には、1772年に亡くなったエマヌエル・スウェーデンボルグの神秘体験が若干の広まりとともに、ウィリアム・ジェイムズとその父親であるヘンリー・ジェイムズ・シニアに影響をおよぼした。しかし、本格的にブームをおこしたのは数々の超常現象を収めた、キャサリン・クロウによる『自然の夜の側』という本である。同じく1848年にはニューヨーク州・ハイズヴィルに住む、フォックス姉妹による霊媒が話題となった。フォックス姉妹は職業霊媒としての興行によって、世界に知れ渡った。一方、霊がテーブルを傾斜させ宙に浮かす文句で広まった「テーブル・トーキング」。これには物理学者のファラデーによる科学的な批判を受けたものの熱狂がおさまることはなかった。このような批判をもろともせず、人々はダニエル・ダングラス・ヒュームやダヴェンポート兄弟といった霊媒に夢中となっていった。

科学界ではチャールズ・ダーウィンが1859年『種の起源』を発表。既存のキリスト教世界観に致命的な打撃を与える。しかし、自然淘汰説の共著者であったアルフレッド・ラッセル・ウォレスは、進化論が人間精神のすべてを説明できないとして心霊研究にのめりこんでいく。

 1882年イギリスでヘンリー・シジウィック、フレデリック・マイヤーズ、エドマンド・ガーニーが中心となり心霊研究協会(SPR)が発足される。この心霊現象を研究対象とする画期的な試みは海を渡り、アメリカでも1885年アメリカ心霊研究協会(ASPR)が設立、ウィリアム・ジェイムズらが創立メンバーとなった。1886年ガーニー、マイヤーズ、ポドモアによって『生者の幻像』が刊行、これまでに調査、蓄積された心霊現象をまとめた本だった。しかし、心霊研究を嘲笑する学者からの返答は否定的なものだった。

1888年ガーニーが突然の死に倒れ、SPRは随一の霊媒パイパー夫人に望みを託す。1890年ウィリアム・ジェイムズは『心理学原理』を発表。この本で、心霊現象の可能性を示唆した。1893年ジェイムズが困窮していた折、マイヤーズがSPRの会長の座を打診した。ジェイムズはこれをしぶしぶ承認、SPRは新たな霊媒、エウサピア・パラディーノを調査し始めた。調査はフランスの生理学者シャルル・リシェが主導した。しかし、SPRのメンバーであるリチャード・ホジソンによってインチキが暴かれること数回であった。思うように心霊研究が進まない中、シジウィック、マイヤーズが相次いで死去、ASPRは資金不足に陥った。

1895年にSPRの会長を辞任していたジェイムズが『宗教的経験の諸相‐人間性の研究』で、ホジソンがマイヤーズの遺稿『人間個性とその死後存続』を完成させて援護射撃を行うものの、もはや振り向くものはいなかった。これはジェイムズが大衆に迎合した研究を嫌い、ホジソン死後の研究計画を退いたことも一因だった。ジェイムズは最後の評論において、心霊研究における真偽判断の曖昧さに言及した。自分が研究している心霊現象の結果は生きているうちには見つからないとして、次代の研究に後を託した。

1910年8月26日ジェイムズはアメリカにて死亡した。ジェイムズの死後、人々は彼を霊としての帰還を望んだ。そんな人々の期待から新聞は専門家に回答を求めた。新聞の見出しにはこうあった。「電気の魔法使い曰く、人間は細胞の集合にすぎず、脳はすばらしい機械にすぎない」その専門家とは発明家エジソンである。そして、エジソンが霊との交信を試みたことはご存知のとおりである。

 

よい点

 まず、前提としておきたいことは科学および宗教は、近世までのあいだ神に近づく道であったということである。これがダーウィンの「進化論」によって崩され、キリスト教の影響力は弱まり、科学的で実証的な考えが西洋を席巻した。心霊主義は弱体化した宗教に代わって、人間のよりどころとして生み出された部分が大きい。

心霊主義がこれまでの宗教と違う点は、物理的に検証できる点である。心霊主義を信奉した人々はこの点に宗教を超越し、科学および実証主義によって確実性が担保されると考えた。また、検証できるという点は、プラグマティズムにおいても重視される。

ジェイムズはプラグマティズムをその人の役に立つ限りおいて真であると考えた。ここに心霊主義とジェイムズのつながりがうかがえる。ジェイムズにとって宗教は教理や教典によって肯定されるのでない。個人の宗教体験や現実的効用によって肯定されるのである。ここに個人の神秘体験や死後の霊の存続を願う人々の思いから生まれた心霊主義がジェイムズにとっていかに魅力的であったかがわかる。心霊主義に対して、実証できる宗教をジェイムズは目指していたのかもしれない。

その後、心霊主義が宗教にとって代わることができたかについてはここでは言及しない。しかし、いつの時代も科学にすべての事実が回収されえないこと。そこから人々が宗教や心霊といった摩訶不思議なものを生み出してしまうということを、この本は教えてくれる。

 

悪い点

 第1に、心霊研究協会の歴史を記述する上で心霊現象の賛同者、反対者、霊媒として、多くの人物が登場する点。そして、イギリスとアメリカがページ中で往復することによって雑多な印象受けることがあげられる。この本の中心人物はウィリアム・ジェイムズであり、ジェイムズの人生に沿って心霊ブームの実状を追う内容である。そうであれば、ジェイムズの生涯、思想をより深く掘り下げるやり方もあったのではないか。

 第2に、心霊主義の学問としての受け止められ方をより知りたかった点。アンチ・ゴーストハンターズの学者がどのような立場から心霊を否定したのか。反対派は唯物的な立場から心霊に反対したのか。ジェイムズの師であるチャールズ・S・パースが反対派の立場としてでてくるだけに英米哲学は心霊主義をどう受け止めたが疑問として残った。

 第3に、心霊主義の功罪である。心霊主義は一部の点で宗教的世界観を更新した。人々は死後も霊魂が残るばかりか、そこに科学の産物である進化論を導入した「霊性進化論」を信じるようになった。この思想はSPRのホジソンによってトリックが暴露されたヘレナ・ペトロヴナ・ブラヴァツキーによって大成、流行した。この考えは現在のオカルティズム、新興宗教にも見られるという(大田2013)。われわれは、現代でも様々な面で心霊主義との関わりは途切れていない。心霊主義が人々の心の安らぎになることもあれば、カルト宗教の教理として組み込まれることもある。心霊主義は未だ歴史の彼方に葬り去られてはいないのだ。

 

参考文献

 デボラ・ブラム(鈴木恵訳)(2010)『幽霊を捕まえようとした科学者たち』、文春文庫

 大田俊寛(2013)『現代オカルトの根源―霊性進化論の光と闇』、ちくま新書

 大野英士(2018)『オカルティズム 非理性のヨーロッパ』、講談社選書メチエ

 魚津郁夫(2006)『プラグマティズムの思想』、ちくま学芸文庫