デボラ・ブラム『幽霊を捕まえようとした科学者たち』 書評

レポートの供養

 

デボラ・ブラム『幽霊を捕まえようとした科学者たち』

 

内容の要約

 時は19世紀半ば、欧米では心霊ブームの真っただ中にあった。この心霊現象への関心の高まりは、哲学者・科学者・心理学者・文化人を巻き込んで降霊術、そして死後の世界に対する大論争を引き起こすことになる。

 この物語は、タイタス事件によって幕を開ける。タイタス事件では、ネリー・タイタスが死亡した少女バーサ・ヒューズを「超常的千里眼能力」によって見つけたことがセンセーショナルに報道された。そして、この事件を報告した人物こそ心霊研究の第一人者となるウィリアム・ジェイムズだった。

ウィリアム・ジェイムズは、哲学においてプラグマティズムを広め、ハーヴァードの心理学教授のポストにつき、アメリカ心理学協会を設立した一人であった。そんな高名な学者が世間的信用を顧みず心霊現象を科学として発表したことは、心霊現象を追い求めるゴーストハンターが学問として研究するに値することを示した。

 19世紀の心霊ブームの前には、1772年に亡くなったエマヌエル・スウェーデンボルグの神秘体験が若干の広まりとともに、ウィリアム・ジェイムズとその父親であるヘンリー・ジェイムズ・シニアに影響をおよぼした。しかし、本格的にブームをおこしたのは数々の超常現象を収めた、キャサリン・クロウによる『自然の夜の側』という本である。同じく1848年にはニューヨーク州・ハイズヴィルに住む、フォックス姉妹による霊媒が話題となった。フォックス姉妹は職業霊媒としての興行によって、世界に知れ渡った。一方、霊がテーブルを傾斜させ宙に浮かす文句で広まった「テーブル・トーキング」。これには物理学者のファラデーによる科学的な批判を受けたものの熱狂がおさまることはなかった。このような批判をもろともせず、人々はダニエル・ダングラス・ヒュームやダヴェンポート兄弟といった霊媒に夢中となっていった。

科学界ではチャールズ・ダーウィンが1859年『種の起源』を発表。既存のキリスト教世界観に致命的な打撃を与える。しかし、自然淘汰説の共著者であったアルフレッド・ラッセル・ウォレスは、進化論が人間精神のすべてを説明できないとして心霊研究にのめりこんでいく。

 1882年イギリスでヘンリー・シジウィック、フレデリック・マイヤーズ、エドマンド・ガーニーが中心となり心霊研究協会(SPR)が発足される。この心霊現象を研究対象とする画期的な試みは海を渡り、アメリカでも1885年アメリカ心霊研究協会(ASPR)が設立、ウィリアム・ジェイムズらが創立メンバーとなった。1886年ガーニー、マイヤーズ、ポドモアによって『生者の幻像』が刊行、これまでに調査、蓄積された心霊現象をまとめた本だった。しかし、心霊研究を嘲笑する学者からの返答は否定的なものだった。

1888年ガーニーが突然の死に倒れ、SPRは随一の霊媒パイパー夫人に望みを託す。1890年ウィリアム・ジェイムズは『心理学原理』を発表。この本で、心霊現象の可能性を示唆した。1893年ジェイムズが困窮していた折、マイヤーズがSPRの会長の座を打診した。ジェイムズはこれをしぶしぶ承認、SPRは新たな霊媒、エウサピア・パラディーノを調査し始めた。調査はフランスの生理学者シャルル・リシェが主導した。しかし、SPRのメンバーであるリチャード・ホジソンによってインチキが暴かれること数回であった。思うように心霊研究が進まない中、シジウィック、マイヤーズが相次いで死去、ASPRは資金不足に陥った。

1895年にSPRの会長を辞任していたジェイムズが『宗教的経験の諸相‐人間性の研究』で、ホジソンがマイヤーズの遺稿『人間個性とその死後存続』を完成させて援護射撃を行うものの、もはや振り向くものはいなかった。これはジェイムズが大衆に迎合した研究を嫌い、ホジソン死後の研究計画を退いたことも一因だった。ジェイムズは最後の評論において、心霊研究における真偽判断の曖昧さに言及した。自分が研究している心霊現象の結果は生きているうちには見つからないとして、次代の研究に後を託した。

1910年8月26日ジェイムズはアメリカにて死亡した。ジェイムズの死後、人々は彼を霊としての帰還を望んだ。そんな人々の期待から新聞は専門家に回答を求めた。新聞の見出しにはこうあった。「電気の魔法使い曰く、人間は細胞の集合にすぎず、脳はすばらしい機械にすぎない」その専門家とは発明家エジソンである。そして、エジソンが霊との交信を試みたことはご存知のとおりである。

 

よい点

 まず、前提としておきたいことは科学および宗教は、近世までのあいだ神に近づく道であったということである。これがダーウィンの「進化論」によって崩され、キリスト教の影響力は弱まり、科学的で実証的な考えが西洋を席巻した。心霊主義は弱体化した宗教に代わって、人間のよりどころとして生み出された部分が大きい。

心霊主義がこれまでの宗教と違う点は、物理的に検証できる点である。心霊主義を信奉した人々はこの点に宗教を超越し、科学および実証主義によって確実性が担保されると考えた。また、検証できるという点は、プラグマティズムにおいても重視される。

ジェイムズはプラグマティズムをその人の役に立つ限りおいて真であると考えた。ここに心霊主義とジェイムズのつながりがうかがえる。ジェイムズにとって宗教は教理や教典によって肯定されるのでない。個人の宗教体験や現実的効用によって肯定されるのである。ここに個人の神秘体験や死後の霊の存続を願う人々の思いから生まれた心霊主義がジェイムズにとっていかに魅力的であったかがわかる。心霊主義に対して、実証できる宗教をジェイムズは目指していたのかもしれない。

その後、心霊主義が宗教にとって代わることができたかについてはここでは言及しない。しかし、いつの時代も科学にすべての事実が回収されえないこと。そこから人々が宗教や心霊といった摩訶不思議なものを生み出してしまうということを、この本は教えてくれる。

 

悪い点

 第1に、心霊研究協会の歴史を記述する上で心霊現象の賛同者、反対者、霊媒として、多くの人物が登場する点。そして、イギリスとアメリカがページ中で往復することによって雑多な印象受けることがあげられる。この本の中心人物はウィリアム・ジェイムズであり、ジェイムズの人生に沿って心霊ブームの実状を追う内容である。そうであれば、ジェイムズの生涯、思想をより深く掘り下げるやり方もあったのではないか。

 第2に、心霊主義の学問としての受け止められ方をより知りたかった点。アンチ・ゴーストハンターズの学者がどのような立場から心霊を否定したのか。反対派は唯物的な立場から心霊に反対したのか。ジェイムズの師であるチャールズ・S・パースが反対派の立場としてでてくるだけに英米哲学は心霊主義をどう受け止めたが疑問として残った。

 第3に、心霊主義の功罪である。心霊主義は一部の点で宗教的世界観を更新した。人々は死後も霊魂が残るばかりか、そこに科学の産物である進化論を導入した「霊性進化論」を信じるようになった。この思想はSPRのホジソンによってトリックが暴露されたヘレナ・ペトロヴナ・ブラヴァツキーによって大成、流行した。この考えは現在のオカルティズム、新興宗教にも見られるという(大田2013)。われわれは、現代でも様々な面で心霊主義との関わりは途切れていない。心霊主義が人々の心の安らぎになることもあれば、カルト宗教の教理として組み込まれることもある。心霊主義は未だ歴史の彼方に葬り去られてはいないのだ。

 

参考文献

 デボラ・ブラム(鈴木恵訳)(2010)『幽霊を捕まえようとした科学者たち』、文春文庫

 大田俊寛(2013)『現代オカルトの根源―霊性進化論の光と闇』、ちくま新書

 大野英士(2018)『オカルティズム 非理性のヨーロッパ』、講談社選書メチエ

 魚津郁夫(2006)『プラグマティズムの思想』、ちくま学芸文庫